2007年07月18日
色即是空(2)
さて、大人になって瞑想をするようになった頃です。
太極拳を習っている時に、始めて瞑想というのものを体験したのですが
太極拳の後だったせいか、身体が自然にグルグルと周り始めました
エネルギーの流れに勝手に身体が動いていくのです。
これは面白い~
その日から時間がある時には、瞑想をするようになりました。
上手く深い瞑想に入る時もあればそうでない時もありますが
深~く入れる時に、あのエネルギーを再び体験すりことになりました。
エネルギーの滝に打たれるような、ものすごい圧迫感
自分の身体が膨張し、周りの空間との一体感です。
そこに何があるのかといえば「無」の世界・・・
本当に何も無いのです。
そこに見えていたのがお釈迦様のお姿
お釈迦様のエネルギーの中に漂いながら感じたことは
この世は無の世界であって、現実とはただ在るだけ
その現実に、ああでもない、こうでもないと解釈しているだけなのだということ
無の視点で現実をみると、本当に勝手な解釈が入り混じって複雑にこんがらがっています(笑)
現実はただ在るだけなのです。
「色即是空」とは色(解釈)も何も無い空という境地
思い込みや執われの観念をときほぐせば
私たちは何ものにも束縛されることなく自在に行動できる
という般若心経の教えなのです。
何故、瀬長島で神秘体験をしたのかも後でわかりました。
過去世の記憶をたどると、沖縄戦で死んだ場所が瀬長島だったみたい
無にもどった場所で、再び無のエネルギーにうたれたのでした~(*^_^*)
太極拳を習っている時に、始めて瞑想というのものを体験したのですが
太極拳の後だったせいか、身体が自然にグルグルと周り始めました
エネルギーの流れに勝手に身体が動いていくのです。
これは面白い~
その日から時間がある時には、瞑想をするようになりました。
上手く深い瞑想に入る時もあればそうでない時もありますが
深~く入れる時に、あのエネルギーを再び体験すりことになりました。
エネルギーの滝に打たれるような、ものすごい圧迫感
自分の身体が膨張し、周りの空間との一体感です。
そこに何があるのかといえば「無」の世界・・・
本当に何も無いのです。
そこに見えていたのがお釈迦様のお姿
お釈迦様のエネルギーの中に漂いながら感じたことは
この世は無の世界であって、現実とはただ在るだけ
その現実に、ああでもない、こうでもないと解釈しているだけなのだということ
無の視点で現実をみると、本当に勝手な解釈が入り混じって複雑にこんがらがっています(笑)
現実はただ在るだけなのです。
「色即是空」とは色(解釈)も何も無い空という境地
思い込みや執われの観念をときほぐせば
私たちは何ものにも束縛されることなく自在に行動できる
という般若心経の教えなのです。
何故、瀬長島で神秘体験をしたのかも後でわかりました。
過去世の記憶をたどると、沖縄戦で死んだ場所が瀬長島だったみたい
無にもどった場所で、再び無のエネルギーにうたれたのでした~(*^_^*)
Posted by SOULBODY 福岡癒しのショップオーナー香 at 23:50│Comments(0)
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